そして、

もうひとつ、重要な問題。
それは、どんな選択でも
自分が責任を持つこと。

誰かの性にしていても

問題は解決しない。

自分の問題は自分が解決
をするのだ。

そして、自分の問題だげ
解決可能だ。

インナーチャイルドを

そのままにしていると、反発に対しての選択しかしていないことになる。

それでもよい?

選択肢がたくさんある。
肉と魚しかない世界では
つまらないよなぁ~。

インナーチャイルドに気づいて変化をして人生の選択肢を広げたくはありませんか?

自分の中にある

子供の頃に感じとった価値感で今の行動パターンを決めている。
私は、小さい頃に緊張感の中にいたので、今も緊張した状況を好む。
心から望むのではない。それしか選択ができなかったからだ。

だから、ゆったりと生きたいと反発して決めてしまうのだった。

どちらでもよい自分がリラックスしていればよいのだから。

自分をリラックスする方法はたくさん学んだ。

緊張感を好んで決めてしまうのは、問題だったが…、これからは違う生き方をする。

これがインナーチャイルドと言われること。

みんながインナーチャイルドに気づいて、変化をしていくアドバイザーになります。

今は、

名古屋のセントラルパークもちのき広場辺りで、自費出版の『親愛なるブルース』を販売してます。

前から

実現したかったことをやってます。

ずいぶんと長くかかりました。

抵抗感はあります。

何せ、初めてやることですから…。

人生は、そんなもんです。

初めて尽くしさぁ…。

そして、

昔、十数年前に、ある人と別れた。
彼女のことが好きだったが別れた。

彼女が精神的に楽になると思ったからだ。

それも、私の可哀想な自分からの答えだったのだ。

彼女と別れることは彼女にとってすごく可哀想なことをすると同時に可哀想だと思う自分との訣別でも有ったのだと今は、思う。

それで、何年も悔いた。

その時間は必要なかったのだ…。

可哀想な自分からの衝動がそれをさせていたのだ。

そのことも今は、受け入れている。

そして、

今日は中学で美術を教えている方と話した。
高校の入試科目でもないし大学の専門以外の入試科目でもないので自由に教えられると。

確かに専門課程にいかないのなら試験科目ではない。

しかし、社会に出ると芸術的なセンスを問われることは多々ある。

そもそも芸術とは社会が繁栄しているから味わえるもの。

繁栄の象徴が芸術なのだ。

という話になった。

才能とは言うが、芸術的なセンスはどこで磨けるのだろうか?

知識を得るだけの教育に
明日の才能はどれだけ磨けるのだろうか…。

全てはバランス

そして、才能は創られる。

とも思える。

昔から

捨て犬とか捨て猫がいると気になっていた。

猫は何匹か拾って飼っていたこともある。

今、帰りに野良犬が寄ってきた。

それで、思い出した。

十数年前は、伊豆高原で捨てられていた子犬たちを名古屋に戻ってきてから拾いに行ったこともある。

その衝動はどこから来るのか…

自分の中にある可哀想な自分からだった。

可哀想な自分からのメッセージを感じて動いていたのだ。

その行動はまずい訳ではないが、それが衝動だとしたら、まずいときもある。

可哀想な人を見て助けたくなる気持ちは誰しもあるものだからだ。

自分から何かわからない衝動は、はっきりした方がよいのだ。

私には

三つ上の兄がいましたが、去年のこの時期に他界しました。
突然になくなりましたが、危ういなという感じもありました。
人の死は何かを語るとは言いますが、身内だと余計に感じました。
それを伝えようと、私は、去年から執筆しておりこの度、完成しました。
短編ではありますが、限定100部で、このゴールデンウィークに名古屋市内にて街頭で売る予定です。

この

世の中は、大多数が労働者だ。
そして、その労働力を使って生産物を製造したり、物品を販売したり、とにかく『物』を生産して売るということで金が動く。
金の動きを考案する人が結局は稼げる仕組みになっている。
また、物以外にも、知識やアイデアという無体のものへの投資もある。
さらに、サービスというものにも金が動く。

結局は金が動く仕組みを創るかどうかで、負け組と勝ち組が決まる世の中だ。

私は、この仕組みを創るのにいろいろ試行錯誤してきた。
世の中にどれだけの知名度があるかで儲かる仕組みを変化をさせたい。

お金という価値だけではなく、お金に変えられない価値はある。

それに、どれだけ費やしたかが人生の価値となる。

その価値感はなかなか伝わらないのだ。