わたしとゲシュタルトとの出会い。

あいるの小部屋

すべての始まりは、わたしがガス欠状態でアクセル吹かして
粋がっていた頃の話である。

ガス欠状態とは愛がない状態の例えである。

世の中、この尺度で見ると面白いよ。
愛をください。ってそんな簡単に言うなよ。(笑)

こういう輩は、実に質(たち)が悪い。

愛を与えると要らないと言う。
それでも愛が無いと生きていけない。

どうするんだよ。(笑)

そんな時に出会ったセミナーでいろいろな人から
こっぴどくイジメられた。(笑)

愛って何だろうね。

お前は、認知行動療法では病気だ。
勝手に病気にするな。(笑)

今から思うと病気でした。
違った意味でね。

当時も心理学は嫌いだ。
今も嫌いだ。それでも学んだ。

意味が無いことも学べば、意味がない事わかるだろう。

人の心理なんて100人十色である。
というのがわたしの結論。

もちろん、実践での経験も踏まえての話である。

ココロの病の原因は、そんなの追求する
意味は何。ココロが病んだら、休めば良い。

自然が解決してくれる。

わたしはそう信じている。
ココロが疲れた時に良いという音楽を聴いた。

クラッシック音楽

全然休まらない。
当たり前である。

ココロが休んだら
聴けばいいのだ。

ココロが基準である。
ココロから望むこと。

ゲシュタルトという心理学に出会った。

それを広めたポーラという人がいる。
会ってなれいけど

そのポーラのワークショップに参加した人の話
始めは何だそれと感じた。

そのセミナーでも体験したこと。

人のせいにしていても何も始まらない。
それは、あなたの問題である。

じぶんの問題だと気づいたら
何かできるのだ。

その何かを見つけるのが生きる意味だ。

とわたしは感じている。
生きる意味を見失ったら

そんな人には影響が出せるかも。

ゲシュタルトの祈り
わたしの人生の羅針盤である。

そう感じたのもじぶんである。

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