親愛なるブルース

あいるの小部屋

2015年4月7日に逝った兄である。
歳月が経つのは早いものだ。

グリーフセラピーなるものがある。

人の感情だから、やがては癒される。
どんな方法でも良いのだが自分の事だから

自分で癒す方法を誰もが知っている。

やがては自分の番である。
そんな時にふと感じたこと。

高齢の母もやがては逝くだろう。
母を看取った後の事だ。

自分は誰に看取られるのだろうか。
離婚していて子供はいるが会っていない。

多分、このまま会えないだろう。
会ったところで彼らの幼少期の記憶しかない。

このまま一人で逝くのだろう。
誰でも最期はひとりである。

それでも誰かに看取られたい。

そんなことを考えていたら
人の事、癒す前に自分だろう。

そんなことを感じた。

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