ゲシュタルトに出会えたこと。

N.L.P.

N.L.P.というコミュニケーション心理学を習得して
コミュニケーションの技法を習得しても、自分は変わらない。

人との会話を楽しむという欲求は作れない。

そんなときに外部講師で招かれたももちゃんのワークショップに出た。
最初の印象は、笑顔がない。笑わない。淡々と話す。聞いていたように仙人のようだ。

ワークに入り、君はわたしにコンタクトしていないね。
勝手にひとりでストーリーを話している。

それが君のしていることだよ。

コミュニケーションのトレーニングで相手の話を聞くことばかりしてきた。
じぶんを語ることを忘れてしてきた。

相手を感じることもできていない。
自分を感じることもできていない。

何のためのコミュニケーションのトレーニングなんだろう。
自由に話していいんだよ。

自分に許可ができた瞬間
自然に話をするようになった。

N.L.P.というコミュニケーション心理学を習得して
人の話は聞けるふりはできるようになった。

そして、自分の感じていることは無視できるようになった。
それがわたしがしたいことであった。

そんなへんてこりんなことしていた。
自分の感じていることに素直になると

自然に話すようになる。
何を感じても良いが、それを表現することは責任を伴う。

自分が感じていることに責任を持とうと思った瞬間がある。

それでいいのだ。
そんなことを体験したゲシュタルト

わたしがN.L.P.というコミュニケーション心理学を習得した団体に
ゲシュタルトを取り入れた時に招待されたポーラバトムという人がいる。

この国にゲシュタルトを広めるきっかけを作った人物である。
わたしは実際に会っていない。写真だけである。

そして、そのポーラの逸話をポーラのワークショップに参加した人から聞いた。
その逸話は、わたしの人生に影響を与えた。

自分の感情に鈍感な自分が、自分の感情に気づいて、感覚を再生するきっかけである。

そのポーラが亡くなった時に、わたしはN.L.P.というコミュニケーション心理学を習得した団体の
トレーナーとセミナーに参加していた。

朝から、トレーナーの様子がおかしい。
ポーラが亡くなった。彼女はこの団体にいろいろな影響を与えてくれた。

そして、ゲシュタルトを伝えてくれた人。その存在感がどれほどか。
そのトレーナーの言葉にわたしは息が詰まった。

そんな体験を未だに覚えている。
そして、それがわたしへのギフトである。

無知な自分に気づいて行動した。
それは、困難極まりない過酷に試練であった。

それでも、自分を成長させたいと自ら思い
そして、多くのサポートのお陰である。

ゲシュタルトに出会えてよかった。
そして、それを伝えたくて書いています。


http://blog.livedoor.jp/airu0413/archives/32630593.html

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