そんなことすら忘れてしまう。
人の記憶とは当てにならぬもの。だから忘れても思い出せるように
書いてみる。
もともと人の話は聞かない。
聞いている振りはできる。
自分大好きなので自分の価値感がすべてである。
相手にも価値感があるので、自分の価値感を伝えても無理である。
それには気づいた。
昔は、何で分からないんだろうと疑問だった。
今は、そんな無駄なことはしない。
相手と自分の違いだ。その境界線を無視して
土足で乗り込んだものだ。
ただし悪気はないので許された。
許してくれた友達とはいまだに交流がある。
でも年に一度位なので孤独死の可能性はある。
コミュニケーションスキルを学び、トレーニングしたことは
営業には大いに役立った。
学ばずして営業はしていないが、仮に学ばないで営業していたら
どうなっていただろう。
営業とはやはり○○を売ることだね。
それを実感できた。
ただし、それも若かりし頃には必要であるが、今はどうだろうか。
人と話さなくても日は暮れる。そして、何不自由なく生活できる。
誰にも相手にされないから一人で居るのか、相手にされるのが面倒なのか。
それでも、相方もなく仲間も居ないと寂しい。
自分のコミュケーションはおかしい。
とゲシュタルトで扱ったことを思い出した。
ずいぶん前であるが、その時の体験を思い出した。
自分のコミュニケーションはおかしいからとトレーニングした。
そうしたらさらにおかしくなった。
人の話を聞きたいという欲求もなく聞いていた。
それは、それで問題なのだが、誰もコミュニケーション
なんか教えてもらわない。
そして、どんなコミュケーションが良いか悪いかなんてない。
それをあたかも正しいコミュケーションがあると捉える方がおかしい。
わたしが今まで学んできたものは何だったのか。
巷では、人の話も聞かないで自分の事ばかり話す輩がわんさかいる。
何が正しくて間違いかなんて考えてもいない。
それでも生きている。それが良いか悪いかはさておき。
好きなように生きて良いのだと。
コミュニケーションスキルを学び、活かすことはしてきた。
それは、それで素晴らしい体験でした。
さて、これからどうしようかな。
コミュニケーションが上手い、下手というレベルですか。
そんなことに今更のように気づいている。
それが自分を変えなくても人生を変える方法なのかもしれない。
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